こんにちわ。
今日は、この前あった自分の中で憶えておきたい瞬間を書き残そうと思います。

子どもと過ごす日々ってあっという間ですよね。
誕生日を迎えて、あ〜もうこんなに経ったんだって毎年やっと振り返れるくらい、
毎日はあっという間で、その日その日を暮らすことで終わってしまうのが普通で。
もうすぐで、子育てをはじめて5年が経とうとしています。
二人目には余裕になると聞いてた子育て。
体力的にはもちろん大変だけれど、心が余裕があるのはここ最近よくわかります。
一人目の時には気にもする余裕のなかった自分の身体のことや、子どもの変化にも気づくようになったことが全く違います。
本当一人目は、何にもきづかない目の前のことで精一杯だったなと。
自分の想いがついていけない環境の変化、身体の変化、心の変化
日本にいる間のわたしの毎日は仕事で、やりたいことがあり、こうしたい、こうやろうが自分の努力で叶う環境でした。
自分のやりたいことをやりたいだけ時間をかけることができる。それだけが時間の中心でした。
海外に移動して子育てが始まって、子育てを楽しみたい、いいお母さんになるべきだっていう漠然な思いを持って暮らすけれど。
子育てという、自分の努力とかでどうにも変えるものじゃない変わるものじゃないこと、
評価されないこと、達成感が得られるタイミングがないことが時間の中心となって、
時間を自分のために使うこともままならなくなった暮らし。
きっとこれでも満足している人もいる、子どもは可愛いし、この時間は特別だ
そういいう言葉とは裏腹に、
知らず知らずにうちに子どもと公園から時間どうりに帰れないとイライラしたり、
ほんのささいなことで投げやりな気持ちになったり。
自分は頑張っている。
子どもにも優しくいたい。
でもイライラしてしまう。
自分の満たされない想いが、苦しめている想いがどこかにあって、
わたしに何かが欠けていると言っている。
と感じた時に、とりあえずわたしはここで同じことを繰り返していてはダメだと気づいて。
そこから、少しづつ自分のために時間を使うことをはじめました。
でも、家族との時間とのバランスをまだ上手くとれずにいることもあり。
子どもが私にくれた悲しみの一言と幸せのひとこと
上の子は、社交的だけど恥ずかしがり屋でもあり、ハグで友達が寄ってきても、ハグし返すより、恥ずかしそうに嬉しそうにはにかみながら、ハグを受けるような子。
欲しいとかの欲求ははっきりというけど、人に関しての好きとか嫌いとか感情に関する表現をあまりすることがありませんでした。
子どもの気持ちってどうやって知るのでしょう。
まだ伝えられない年齢も、伝えられる年齢も、上手に伝えられる子もいれば、伝えられない、伝えない子もいると思います。
どちらかといえば、上の子は”伝えない子”なタイプだと思います。
なので、態度や発言から読み取る日々。
一時期、そんな子が『ママ嫌い』と凄くいう時期がありました。
初めて言われた時、彼女が生まれた時のことや、今までの毎日が思いだされて、悲しくてしょうがありませんでした。
”子どものいっていることだ”と言われたけれど、心から悲しくって涙が止まらなかった。
”好き”って言葉より、”嫌い”って言葉、百倍心に刺さります。
それも大事に育てていると私が思ってきた我が子からの言葉。
どうしたらいいかわからなくて、どうしようもなく悲しいことを彼女に伝え、
わたしは大好きだと伝えたんです。
そしたら、ごめんねって一緒に泣いてくれました。
それから、感情的になる時には、”ママは大好きだから”ってハグするようになりました。
そのうち、心の成長とともに、頻繁には怒らなくなって。
最近は、”ママだいすきよ”って表現してくれるようになりました。

1日の時間のなかで、”時間を作る”って本当大変で、ほんのちょっとしたことで、なくなってしまうのが家事・育児業。
結局、また自分のイライラ虫がでてきてしまったりして。私ダメだなって思っていたこの頃。
ある日、公園で遊んでいたら、クローバーが一面に広がっていたんです。
子どもたちに、
『4つ葉のクローバー見つけたら、幸せになれるんだよ〜』
って、いったら、彼女が、
『私、幸せだからいらないよ〜』って言ったんです。
時間が止まったように、心がぽっかぽかに暖かくなって、うるっとしちゃいました。
”ママ今のままで大丈夫よ”って言ってもらえた気がして。
子育てって本当に、何が正しいとか、私はよくわからないけれど、
一緒にいられる毎日を大事にしていきたいと心から思いました。
3つ葉のクローバーが私に幸せをくれたのです。